御祭神

当神社は全国鴨(加茂)社の総本宮で、弥生中期より祭祀を行う日本最古の神社の一つです。主祭神の阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)、 その御名を迦毛之大御神(かものおおみかみ:「大御神」と名のつく神様は天照大御神、伊邪那岐大御神と三神しかおられません。)と申され、死した神をも甦らせることができる、 御神力の強き神様であられます。それゆえ病気平癒、初宮、大祓い等、甦りに関する信仰が深く、また人の歩む道を目覚めさせてくださる神様として全国より篤く御崇敬を受けております。
「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表しています。当神社の神域は鉱脈の上にあることも重なり、多くの「気」が出ていることでも有名です。 夏場に参詣されますと、涼しく感じられるのはその為です。「気」は身体にたいへん良く、ぜひ神域を巡られて神様の「気」をお受けになられ、心身共によみがえられることをお祈り申し上げます。

御由緒

この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神として祀った社の一つであります。
『延喜式』神名帳には「高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひこねのみこと)神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預かる名神大社で、 最高の社格をもつ神社でありました。清和天皇貞観元(859)年正月には、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の御神階にあった本社の 御祭神もともに従一位に叙せられましたが、それほどの由緒をもつ古社であります。
弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。 また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶように なりましたが、ともに鴨一族の神社であります。このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・ 播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。
『日本書紀』によると、八咫烏(やたがらす)が、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されています。そして神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后と され、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられました。この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展しましたが、わずか九代で終わり、 三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によって滅亡しました。 こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活躍は神話の中で大きく 物語られています。高天原から皇室の御祖先である瓊々杵(ににぎ)尊がこの国土に降臨される天孫降臨の説話は、日本神話のピークでありますが、その中で本社の御祭神で ある味耜高彦根(あじすきたかひこね)神・下照比売(したてるひめ)神・天稚彦(あめわかひこ)、さらに下鴨社の事代主(ことしろぬし)神が、国造りの大業に参劃され ています。御本殿には味耜高彦根神を主神とし、その前に下照比売神と天稚命の二神が配祀され、西神社には母神の多紀理毘売(たぎりびめ)命がが祀られています。 古くは味耜高彦根神と下照比売神の二柱をまつり、後に神話の影響を受けて下照比売の夫とされた天稚彦、また母神とされた多紀理毘売を加え、四柱の御祭神となったもの と考えられます。
現在の御本殿は室町時代の三間社流造の建物で、国の重要文化財に指定されています。なお東神社は皇大神・住吉神・春日神をお祀りしています。

沿革

社名 建年
国指定重要文化財 本殿 天文12年(西暦1543年 室町時代)再建
県指定重要文化財 摂社東宮 寛文9年(西暦1669年 江戸時代)
摂社西宮 貞享2年(西暦1685年 江戸時代)

境内案内

アクセスマップ

社名 御祭神
御本殿 阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神) 事代主命
阿治須岐速雄命 下照姫命 天稚彦命
西神社 多紀理毘賣命 天御勝姫命 鹽冶彦命 瀧津彦命
東神社 天兒屋根命 天照大御神 住吉三前大神
祓戸神社 大直日神 神直日神 伊豆能賣神 底津綿津見神
八幡神社 譽田別命
一言主神社 事代主命
猿田彦神社 猿田彦命
聖神社 大物主命
稲荷神社 宇賀御魂命
金刀比羅神社 大己貴命
八坂神社 素盞嗚命
牛瀧神社 豐岡姫命
市杵嶋姫命神社 市杵嶋姫命
大山咋神社 大山咋神、御歳大神と伝えられる
春日神社 建御雷命
雷神社 火雷命
細井神社 水波能賣命
西佐味神社 高木大神 高龗大神 闇龗神 十二將軍大神
佐味護国神社 護國の英靈

高鴨神社宮司鈴鹿家について

当社の宮司 鈴鹿家は中臣連で始祖は天児屋根命という神様です。
天児屋根命は岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱えた神様で祝詞の神ともされています。
現当主は八十五代目に当たり、天智天皇の右大臣で「大祓詞」を創り、佐久奈度神社(滋賀県大津市大石中町)を 創建した中臣金連や神社覈録(じんじゃかくろく)を著した江戸時代末期の神官・国学者である鈴鹿連胤を先祖に持ちます。 また鈴鹿家には書物が多く、今昔物語の原本を所蔵致しておりました(現在は京都大学に寄贈)。 また天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭であります大嘗祭の史料も鈴鹿家文書として残っております。 現宮司の母方は鴨族で役の行者の後裔とされる五鬼助氏とも親族であります。

*神社覈録・・・式内社を始めとする古社の社名の訓み・祭神・鎮座地等を考証した書物